心を支配する


「私はこころを支配するよう努めていますが、
しかし、こころは狂った犬のように駆け回ります。

そのような中で、
一体どうやって成功するのでしょう?」 と、
人は言うでしょう。

そこに、誤りがあります。
こころは無形です、
しかし、
それは数々の感覚と結びついています。
それゆえに感覚を支配しなさい;
 感覚が、あなたを実在の世界へと
引き寄せるのを許してはなりません。
この方法によって、
こころは光り輝く道具となることができ、
そして実体のないものをあたかも
真実であるかのように思う
誤った思い込み(迷妄)に
つきまとわれることがなくなります。
そのとき、
このアートマ(個々の魂)は
ブラフマン(神)だという真実が
明らかになり始めるでしょう。
この純粋意識の輝きは
無知の暗闇を追い払います。
なぜならば、
そのアートマ(大いなる自己)は
ジョーティ(光)であり、
そして、光あるところに
タマス(無知の暗闇)が
存在することはできないからです。

ババ

瞑想をするとき


あなたが瞑想をするとき、
こころはしばしば何か他のものを追い求め、
そして違う方へどんどん逸れがちです。

その時、あなたは神の御名と
御姿という手段を用いて、
気をそらすことに栓をしなければなりません。

そして、あなたの神に対する揺ぎ無い想いが
あふれ出るのを中断することのないよう、
確かなものとしなければなりません;

もし、それが再び起こるようであれば、
再度すぐさま名と姿を用いなさい。
こころが対岸の向こう側の御名へと、
そして御姿がもう一方の岸を
越えていくことを許してはなりません!

あなたのこころが御名の暗唱から
わき道へ逸れるときは、
姿かたちを描いた絵を使いなさい。
こころが絵から逸れるときは、
御名を読み上げなさい。

こころが御名の甘美さ、
あるいは御姿の美しさのどちらかを、
しみじみと思案するようにさせなさい。
こころは、このように取り扱うことで
容易に抑制することができるのです。

ババ

日頃の行ないと規制


偉大な聖者たちは
彼らの同胞に対する
大きな哀れみのこころから、
日常生活と行為に関する
制限と指導面の規則を定めました。

そうすることで人間のこころが
神に背むことなく、サティア(真理)、
ダルマ(正義)、シャンティ(平安)、
そしてプレマ(愛)の理想へと
向かうことができるからです。

彼らは、全ての行為が取調べられ、
その感情と激性が清められているときにのみ
認可されなければならない、
さもなくば、
それを投げ捨てるべきだと断言しました。

バーヴァシュディ(精神的に陥りやすい気質の浄化)はカルマ(行為)の果実であり、
そのようなことからバーバ(思考過程)を
混乱させる、或いはラジャス(激性))を刺激する、
またはタマス(鈍性)へと身を落とすことになる如何なる行為をも避けなければならないのです。

ババ

人類の努力と神が一体になる必要がある


神がすべてを支配しているのであれば、
人間は何のために
努力をする必要があるのでしょうか

と人は尋ねるかもしれません。

確かに、神は実に強力です。
しかし、同時に人間の努力も
また無くてはならないものです。

何故ならば、それを抜きにして
人類が神の恩寵の恵みを享受できないからです。
あなた方が扇風機とそれを動かす
電力の両方を有するときにのみ、
扇風機のそよ風を楽しむことが
出来るのと全く同じように、
あなた方が至福を体験するには
神の恩寵と人類の努力の
両方がある場合に限られるのです。

ババ

宇宙とは神そのものか

宇宙は神が戯れるところです。
この事実を、意識の中で絶えず認識していなさい。

そうすれば、あなたが幸福な生活をするために
更に必要とするものは何もありません。

何故ならば、あなたはその時すべてのものの中に、
あらゆる思いを通して、あらゆる場所において、
そして極めて瞬時に
神と連絡を取ることになるからです。
神の栄光は最も小さな花の中、
そして最も遠い星の中にも明らかです。

あなたが、神意についてのこれら証明の
熟考から得られる喜びは
言葉では言い表せないほどのものです。

クリシュナ神はバガヴァット ギータの中で、
人はいつも喜びの存在の
すぐそばにいると言明しました。
あなた自身、喜びに満ちていなさい。
そしてその喜びを他の人々と分かち合いなさい。
自己中心的なものから生じる
限定された幸福は手放すべきです。

ババ

良心こそ忘れてはならない


あなたはあなたの良心をしっかりと持つべきです、
そしてあなた自身の内に確信を持ちなさい。

あなたの良心は案内人です、
そしてその命によって行動するべきなのです。

良きにしろ悪しきにしろ、
それはあなたの良心に責任があるのです。
あなたのうちの罪が悪をもたらします。
だから、あなたの内の力と自信は、
あなた自身の内に確信を
産み出すようなことをあなたにさせるべきなのです。
それが私が四つのFに従うように言う訳なのです。

主人−それはあなたの良心、に従いなさい(Follow)。悪魔に立ち向かいなさい(Face);
最後まで戦い(Fight)
そして勝負を終わらせなさい(Finish)。
それらがあなたの内でいつも響いているように、
これら四つの命を覚えていなさい;
それは人生を導く最も神聖な道です。

ババ

死は解脱への荘厳な実施

5月29日
真の『あなた』が不滅であることを知りなさい; 
死を、解脱の荘厳な実施へと振り向けなさい

そのような知識は、
ダルマニシュタ(道徳的規約の堅固たる遂行)と
カルマニシュタ(人生におけるその人の
段階での義務への不断なき献身的実践)に
人生を捧げることによってのみ
手に入れることができるのです。

これら二つのことはブラフマンニシュタの
発展−唯一絶対なるものを基盤とする
この表面上の多様な全てのものが、
すなわちブラフマンであるということを
絶え間なく熟考する−
に終わらなければならないのです。
ニシュタ(修行)は実践により
確固としたものとなり、
そしてあなた方の分離した
個々の存在は偉大なる英知の海の中へと合流し、
やがて神の中へと融合するのです。

ババ

人生に必要な2つとは?

5月28日
二つのことが幸福な人生には欠かせません。
ダーンヤとディヤーナです。
肉体を維持するためのダーンヤ(穀物)と、
そして、あなたのこころの内なる
神の聖堂に入ることで神の栄光の中に
溶け込むためのディヤーナ(瞑想)です

昔の聖者たちは森の静けさの中へと引きこもり、
そして厳しい精神的労苦による
霊的経験とひらめきから、
人類のためのその偉大な宝物をもたらしました。

彼らが人里離れたところに隠遁する理由は、
楽しみとこころを取り乱す俗事から
感覚を引き離すためであり、
歓喜の根源を損なう可能性のある
その影響を避けるためでした。
彼らの唯一の目的は、
人類に利益を与えるために
解脱の秘密を明らかにすることだったのです。

ババ

他人の欠点を探すな

5月27日
怒りと憎しみは時として
コブラのシューという音のように、
侵入者を遠ざけるために役に立つことがあります


それらは、サーダカ(霊性修行者)に
忍び寄る邪悪なものを
撃退するのに用いることができます。

あなたの霊的な成長を阻むものに対して怒りなさい;
 あなたを悩ます悪い習性を憎みなさい。
ジュナーナ(神を知るための最高の知識)を深め、
全てのものや営みの中に神を見なさい。

それが人間の誕生を価値あるものにします。
他の人々の中に欠点を捜してはなりません; 
何故ならば、他の人はあなたが
知ろうと志している神の現れに他ならないからです。
あなたが他の人々の中に映し出されたものを
見るのは、あなた自身の欠点なのです。

ババ

目覚める事!人生の精神的な価値に

5月25日
人類は、純粋な神性の人間へと
成長する能力を自分の中に秘めています。

けれども、無知と気まぐれさが
原因となって人は発育不全となりました。

人は自分自身を低い理想の
鎖につなぎ止め、そしてそのために
人は恐れと苦悩の中へと落ちてしまったのです


ウパニシャド(古代の聖典)は
人間に目覚めるよう、そして自分自身の
教師となるよう人類に勧告します

−「ウティシュタ、ジャグラタ、
プラピヤ バーラン ニボダタ!」
(起き上がりなさい、目的地に到達するまで
目を覚まして、立ち止まってはなりません!)

人間は無知なる眠りに封じ込められ、
そして人生の真の価値を忘れてしまいました。

人は単に物質的な発展だけに取りつかれています。
人が人生の精神的な価値に目覚めない限り、
この世に如何なる平安や
繁栄もあるはずがないのです。

ババ

崇高な心を持てば崇高な形の心になる

5月24日土曜
怒り爆発寸前の日

常に高潔な思想に基づいて思案しなさい

気球に空気が充満すれば
気球の形になります。

こころは与えられたものの形をとるのです

もし、それが
くだらない世事に向けられたならば、
それはくだらないものとなります;

 もし、崇高なことに関してであれば、
それは崇高なものとなります。

カメラは、それが向けられたものが
何であろうと写真をとります;

 従って、あなたがカチッと鳴らす前に
細心の注意を払いなさい。
あなたが執着をもつ前に識別しなさい。

あなたが家族、富、所有物等に
対して執着を持つならば、
これらの最終段階のときは
悲しみの原因となるでしょう。
しかし、あなたが神に対する
執着を持つならば、
あなたは愛と輝きを増すことでしょう。

ババ


怒りは狭い心から生じると思う
高潔な思案をしていれば小さなことで怒りを表す
事はない。

広い心 寛容さ 許せる心
怒りで身を焦がすよりも許すことで心の健康を求めよう
今は怒りを抑える事が一番の修行か?





真理を伝えるという勇気を持つ

5月23日無私の奉仕を知った日

人間の主要な目的は
真理の基本原則を実践し、
そして広めることにあります。

それを伝える前に、
人は自らが真理を実行しなければなりません。
どのようなことがあろうとも、
人は真理の道を歩むための
勇気と信念を持つべきです。

食物、衣類、そして住まいを
犠牲にしてでも、自分自身の
人生でさえ犠牲にしてでも、
真理と正義を遵守する用意が
できていなければなりません。

ババ

5月22日:1日中怒っていた日

他の人々の中の
悪を見つけようと探したり、
あるいは議論したりしてはなりません。

何故ならば、その試みは
あなた自身のこころをも傷つけるからです。

あなたが他の人々の欠点と
失敗を捜し出すことに没頭するならば、
結局はあなた自身の中に
それらの欠点と失敗を生むことになります。


他の人々の良い面を考えるようにしなさい、
やがて、それがあなたにとって財産と
なることがわかるでしょう。

あなたの中の潜在的な
善良さがその時から芽を出し、
そして花開くよう促されます。
あらゆる思いは、こころにある印象を残します

精神的な性質とは
反対の、こころ狭く制限する愛、
怒りや貪欲さを誘うもの、
あるいは嫌悪感を与えるもの、
これらをこころの中から
締め出さなければならないのです。
これは、最も基本的な修行です。

ババ

又、
今日もサイに教えられた。
相手の悪いところが見えて
許せなくなり何とか分からせようとしている

怒る事を止めよう
怒りは何も産まない
いや、マイナスの財産を生み出してしまう

愛をもって相手を見よう
しかし、
それが難しいのだ

精神的な価値観に基づき行動する

5月20日
わたし達のこの世での営みを
精神的な価値観に基づいて
当てはめていくことで、
わたし達は日々の生活の中での
達成に努め、
そして模索し続けなければならないのです。

あなたの手は地域社会の中に、
そしてあなたの頭は森の中に
置かなければなりません。

すなわち、
あなたが従事する活動が
どのようなものであろうとも、
あなたは精神的理想を
断固として貫かねばなりません


これだけが、あなたの上に
永続的な平安を授ける
真の霊性修行なのです
あなたが、アートマ(内なる神)
だということを忘れずにいなさい。

あらゆるあなたの霊性修行は
この堅固たる信念と、そして揺ぎ無い
信仰とによってあなた自身を
証明する方へと導き、
そして、あなたの人生の成就の
最終地点へと達しなければならないのです。

それら神へと捧げるために
遂行するその行いを全託することによって、
あなたの全ての感覚が
洗い清められて神聖化されなければなりません。

ババ

霊性修行は節度あるものに

5月21日
清々しい気候で
木々の緑がありがたく感じた。


人間のサーダナ(霊性修行)は楽しく、
且つ、極端に走ることなく
節度あるものにしなければなりません。

中道のみちをとりなさい;
 それは最大の利益をもたらすことでしょう。

感覚が求める対象が
完全に断念されることは
不可能です;
 
従って、それを礼拝のための
道具へと変えなさい。

神にすべての努力の
成果を捧げなさい。
成功と失敗の全てを
神の恩寵の証しとして受け入れなさい。

ババ

心の持ち方が大事、未知なる法則を考える

5月19日
ブッダは本当の自己を悟るために、
さまざまな霊性修行に取りかかりました。
けれども、これらの実践のどれも
彼に(解脱)への道を
示すことができませんでした。

最終的に、彼は五感を
神聖な態度で使っていくことで
解脱が見い出されることを悟ったのです


彼は、(神の御名の復唱)、
(瞑想)、(犠牲を捧げる儀式)、ヨガ、
その他が単なる身体的な
行為に過ぎないことを知りました。

これらの霊性修行は肉体に
執着する人々のためだけに
必要とされるものです。

真我に立脚した人は、
これらの実践のどれも行う必要がありません。


ブッダは、(神聖な見方)、(神聖な言葉)、
(神聖なものを聞く)、(神聖な意識)、(神聖な行為)を
培うことによってのみニルヴァーナに
到達することが出来ることを教えました。

ババ

歴史上の偉大な教祖は
釈迦やイエスやマホメットその他多くの教祖は
この宇宙の法則を認識して
その時代の人々に分かる様に教え導いたと思う

そこには比喩もあり方便も有ったと思う
仏陀の教えは
現代の我々にもわかりやすく
論理的でもある

仏陀はこの宇宙における法則を悟り
何とか分かりやすく伝えようとした

この世には
誰にでも実感できる物理現象を現す法則があるが
その目に見える法則意外にも
大事な法則があるのだと教えているようだ

その目に見えない法則に気付くべきであり
その法則に反する事は決してよくない
その法則に反しないで生きてゆくには


、(神聖な見方)、(神聖な言葉)、
(神聖なものを聞く)、(神聖な意識)、(神聖な行為)を
培うことによって解脱する

解脱とは涅槃の境地に入る事
目に見えない法則の世界では
しばしば神の奇跡と言われる現象が発生する

現代科学以外を認めない思考では
信仰は迷信として敬遠されがちである

神を信じなさいと言われても
無条件には信じられない環境にある

無神論者になったり
あるいは極端なカルト集団に洗脳されたりする

愛や奉仕の精神が育たず
道徳が廃れる

しかし
現代科学では解明されていない法則
つまり神の世界の法則がある

我々凡人では解明出来ないが
将来には人類はその法則も明らかにしてくれるだろう

厳然として未知なる法則があり
それは奇跡的な現象を引き起こすほど強烈で
人間にとっては重要な法則なのだ

仏陀は正しい思考で生きる事を説いている
こころが大事であり
(神聖な見方)、(神聖な言葉)、
(神聖なものを聞く)、(神聖な意識)、(神聖な行為)
を心がけて生きよと教えている

こころに思い描く事や
日頃の行いや言葉使いが現実世界に
如実に現象として現れる仕組みになっている

俄かには信じられないが
それが
宇宙の法則であり
現代科学が解明できないでいる
未知なる法則である

それを人類は神の世界として
信じる者のみがその法則の恩恵を受けてきた

作用・反作用は
物理現象の明らかな法則である

こころに思い描く事や
常日頃の言動や行いは
因果応報として物理現象と同じ様に現われる

因果応報や輪廻転生を
非科学的として退ける訳には行かない

今こそ
この宇宙は因果応報の法則に
従う世界だという事を認識するべきだ

因果応報・輪廻転生は
現代科学で理解する事は不可能であり
解明する糸口さえなかった。

しかし、どうやら人類は
量子力学の世界でその可能性を仮説として
考えられる段階に到達した。

般若心境ではこの世のものは
空なる摩訶不思議なモノから
成り立っていると悟ったと言っている

この世の物質を究極まで小さくして観察すると
将に、不思議なモノから出来ている
それが量子である

量子の世界では
粒で波であると言う二つの性質を持つモノから
この世界は成り立っているという

しかもこの量子は観察すると変化するという
3次元世界ではありえない振る舞いをする

この摩訶不思議なモノ量子からこの世が
成り立っている事は事実として受け入れると
数々の神の奇跡と言われる現象も
物体が物理の法則に従うのと同じ様に
因果応報や輪廻転生として現れているのではないか

量子の世界では
真空状態も決して無ではない

ガラス管の中の空気を完全に抜いても
真空にはならない
必ず素粒子があり高圧の電流を流すと反応する

この世の中は無から生じた
宇宙はビッグバンにより誕生した
現代科学の常識では
無から有が生じる事はありえない

恐らく我々が無と思っているモノも
実際は未知なるモノからなっている筈だ

我々は普通意識は無なるものと思っている

こころに思った事は
自分のこころの中で発生するだけで
伝達する事は無いと思っている

しかし、未知なる法則で
意識は電波と同様に
物理現象を伴うエネルギーだとしたらどうだろうか?

作用・反作用の原理により
因果応報・輪廻転生まで仮説として成り立つ事になる

証明出来なくとも
仮説として成り立つならその現象は
法則により必須の現象となる。

この未知なる法則は
想像を絶するほどの強烈な現象を
引き起こすのかもしれない

いわゆる
神の奇跡として伝承されている事は
全て真実と言えるかもしれない

そして輪廻転生という現象も
厳然として存在し
その事に気付くかどうかは重要な事なのだ。

サイババの
私は神だ。あなたも神なのだ
私もあなたも本当は神なのだ。
只、私はそれを知っているが
あなたはそれを知らないだけだ

神とはこの宇宙の未知なる法則であり
その法則をサイババは知っている
しかし、我々凡人は知らない
知る努力をするべきだ

知る努力それが霊性修行であり
人生を豊かにして人類を幸福に導く

最近の量子力学の世界では
「心は量子で語れるか」として
人間の魂の根源に迫ろうとしてる

超物理学となるが
「量子に心はあるのか?」という
とんでもないテーマにも取り組んでいる

軽々に量子の世界が
神の世界で有るとはいえないが
この世界(宇宙)は
未知なる法則をに支配されている
そして偉大なる先人達は
その事を悟り
同様に「目覚めよ!未知なる法則の存在に」
と教えてきた。



























































忍耐の重要性、耐えることも修行

5月18日
忍耐は、あなたが持たなければならない
最も重要な性質の一つであり、
それは霊性の道において
絶対的に重要不可欠なことです。

あなたが堅忍不抜の
この性質を培うには、
あなた自身を難しい状況の試練の元に
置くことによって可能となるのです。

善に対して善で報いるのは
何も特別なことではなく、
しかし、善ではないことに対して
善をもたらすことほど偉大なことはなく、
そしてそのような美徳の実践には
非常に多くの熟練を要します。

他の人々がどんなにか
非常にあなたを非難しようとも、
どんなにか多くの人々が批評したり、
または責めたりしようとも 
あなたは決して忍耐を失ってはなりません。

あなたは平静なままでいて、
なお且つ、内なる平安を楽しみ続けるべきです。

ババ

耐え忍ぶ事も大事な修行か
サイが修行のために忍耐すべき
環境を作っていると考えると
それはそれでありがたいことではないか

ただひとつの力アートマ・シャクティ(真我の力)

2008年5月17日

あなたが完全に認知していると感じるとき、
あなたは目が覚めています;

 しかし、目が覚めているとき、
あなたは一つのことではなく
多くのことを認知しているにすぎません。

あらゆる多くのものが消え去るのは、
あなたが深い睡眠のときだけです;
 そのとき、あなたは世界について、
また、あなたのこころを惑わせた
映像を認知することはありません。

夢や深い睡眠の段階においてさえ
目覚めているかを調べ、
そして目覚めていることが
真理の求道者を欺くことを悟りなさい。

感覚は人を騙すのです;
 それらは無能な道具でしかありません。
こころは少しの力も持っていません


ただ一つの力、
それはアートマ・シャクティ(真我の力)です。

こころは形を持ちません。
こころは欲望を紡いだ織物といえます。

アートマ(真我)は、
ハートが純粋か汚れているかに関わらず
ハートの上で輝きます。

しかしながら、
もしもそのハートが浄化され、
そして、最も強い願望が
神のためにであるならば、
それは素晴らしいことです


ババ

成功又は失敗の理由は自分にある

精神的世界の中にあって、
成功または失敗に対する責任は
完全に自分自身にあるのです。

それを他の人々のせいにする権利は
、あなたにはありません。

火は、燃料を供給される間だけに
限って猛威を振るいます。

すなわち、
感覚という火に
油を注いではならないのです


束の間の儚いものから
こころを引き離し、
永遠不滅なるものへと
寄り添いなさい。

ナマスマラナ
(神の御名をひたすら憶念する)の
実践によってバクティ(帰依心)という
苗木を植え付けなさい。

その種はやがて、
美徳、奉仕、犠牲、愛、
平静、不屈の精神、
そして勇気という多くの枝を
もつ巨大な木へと成長することでしょう。

ババ

教育とは人格を改善する道です

教育とは
沢山の本からの
情報や事の真相を収集しては
蓄積することではありません。

読書は、単にあなたが
集めようとする知識を
豊かにすることが出来るだけのことであって、
決して良い性質を
促進することは出来ません


良い教育とは
人間が自分の知性を
使うことが出来るようにし、
且つ、こころを研ぎ澄ますことによって
悪と善とを識別することで
人格を改善していく道のりなのです

  若者たちが教育の恩恵を
受けるようになるには、
その教育の真意とするところの
第一が献身、忍耐、真理、
そして愛の理想と密接に
結びつけられているときだけです。

もし、これらの気高い
基本的原則に欠けているならば
学生たちは決して教育から
僅かな恩恵さえも受けることはないでしょう。

ババ

神のかたち、神とは?への回答

神を理解したい。

ババは言う

私は神である
しかし、
あなたも神である
私はその事を知っているが
あなたはその事に気付いていない

日本神道では
万物全てに神は宿っているとして
人にも、動物にも、植物にも、そして鉱物にも
ありとあらゆる物に
神は宿っているとしている

どうも神を
人格神とイメージすると
限界が有る

錯覚や誤解の基である
人間の姿をしているとイメージするから
ありえないと考え神を否定してしまう

神を人格神として
イメージさせたのは
分かりやすくするための方便だったのでは

あなたも神
私も神。只、あなたは
自分が神である事に気付いていない
先ず神であることに気付くべきだとババは言う

あなたも私もこの宇宙の全ては
同じものから出来ている
だから
私も神だがあなたも神なのだ

同じモノとは
同じ法則に従う究極の宇宙の原材料では

原材料とは
空なるものであり
見ることも触る事も出来ない
五感では感じる事は当然出来ないし
現代科学を持ってしてもそのものを証明出来ない
しかし、この宇宙の全てのものは
究極のもの、究極の未知なる法則から出来ている

それを知りなさいと言っているのでは

全ての教祖が
同じ事を言っている

現代物理学が解き明かした
量子力学の世界では
この世の物質を構成している最小の物質は
我々が理解できる物理の法則には従わず
不思議な性質を持っている

それだけでも神と言える様な
振る舞いをする

この世の中の全ての物(万物)は
究極の物質から出来ている

その物質は全宇宙に隅々まで満ちている
そしてその物質は
我々が理解している物理の法則を
超越した性質を持っている

万物が同じ性質を持った
人智を超えた物質から出来ている
これが神の形ではないか

いわば神のメカニズムであり
神とは何ぞやの回答に近い
仮説ではないだろうか

神=究極の物質

究極の物質とは仮説であって
本当は、物質とは呼べないむしろ
エネルギーの様なものである

量子力学でも
量子は粒子であり波であるとしている
現実世界では
ひとつの物質が粒子と
波の性質をもつ事はありえない
私には理解不可能だ

しかし、理解できなくても
厳然としてそれは量子の世界では事実である

何とこの世の物質は
粒子であり波であるという理解できない
ものから成り立っているのだ

恐らくその量子とやらは
未知なる法則で現象をあらわすかも知れない

神としなければ理解不能な現象として
現実世界に作用を及ぼしているかもしれない

人はそれを神の現れとしてきたのでは

偉大な宗教家達は
その事を悟りいろいろな方便で
教え導いてきた。

時には奇跡を演出することで
神として信じ理解させようとしてきた

神を理屈や仮説で理解しようとするのは
冒涜かもしれない

しかし、闇雲に信じることから
信仰するのではなく
納得の上で神なる教えを聴くことは大事だ

この世の万物は
究極の物質から出来ている
そして
その物質は我々の
知る法則を超越している

重要な事はこの物質は
我々の心とつながる可能性がある

我々の思いが
この物質に作用している可能性がある

宗教的な奇跡はこの未知なる
法則が生み出しているのでは

こころに思い描く事が
物質に影響するという事実が
ある事を知る事で日頃の思いを
直ぐに点検する必要がある

生き方やこころに思い描く邪まな念を
点検しなければならない

もうこれ以上神のメカニズムを考えても
解明など出来るものではない
しかし、信じる事の出来る理由は出来た
輪廻転生すらも理解できる様になった。

神のメカニズムを考える必要はなくなった
宗教家が解く教えに素直に従い
正しい生き方を実践する方が現実的だ

万物は究極の物質から出来ている
その物質の未知なる法則が
作用すると神の現われとなる

こころを耕すこころが必要

人間のこころは
耕さないと種を植えられない

こころを耕せるのは
人間の心でなくては耕せない

残念ながら
「こころを耕すこころ」
を持ち合わせていない


こころと言葉は車の両輪みたいなもの

こころを鍛えるには
重い言葉が必要だ

重ければ重いほど
深く耕せる

深く重い言葉に出会うべきだ
軽薄な会話からは
耕すこころは生まれない

日本の小説や映画やドラマには
その重さや深さは無い

最近韓国ドラマに
その重さや深さがあることを発見した

韓流ブームの
本質はここにあった様だ

決してヨン様がブームの理由ではなく
ドラマを通じて発せられる
言葉の重さや深さ

愛する思いの深さ
狂おしい愛の重さ、命をかける恋

気高き人間の生き方を
感じさせるのが韓国ドラマだった

日本人が忘れてしまった事が
韓国では底流に脈々と流れている

明治時代までは
日本人の精神的背骨だったものが

韓国には今もしっかりと残っているから
ドラマにも極当然の事として表現される

究極の愛、自己犠牲、誇り、気高い生き方
人間の美しさを表現しているから
そこに感動が生まれる

感動を引き起こす
生き方は時に
洗練された一言の言葉で表現される

韓国ドラマを見ていて
久々にことばの味を楽しむことが出来た




神の御言葉に触れて思うこと

毎日神の御言葉が読める

インドのアシュラムの黒板に毎日書かれる

その言葉を
毎日翻訳している人が居る

1日も欠かす事無く
毎日翻訳してくれている

毎日継続する事が凄い
感謝、感謝

ところで
言葉こそ神かも知れない

神を知る(識る)方法は
言葉が良いと思う

奇跡を見る事で
神を信じるかもしれないが

奇跡と思う事は
錯覚かもしれない

奇跡でしか
神を見る事が出来ないとしたら
その信仰は軽薄かもしれない

言葉は嘘をつかない
残された言葉は自分の責任の中で
吟味し、味わい、検証して理解できる

普遍の真理を語り続ける事で
本物の神を証明する

サイババの言葉は
一貫して真理を示唆している

常に神に気付けと言っている様に聞こえる

私は、神を信じようとはしてこなかった

神を考える事をむしろタブーとしてきた

神を信じる事は
科学的思考と矛盾するとして
遠ざけてきた

この世は全て
物理現象と化学現象で説明できるとしてきた

人間も死ねば
細胞が死に絶え脳の活動も停止して
全てそれで終わりと
考えるのが普通として来た。

だから
神を考える事無く生きて来た

しかし、
どうやら、そうではない様だ

この世は物理現象と化学現象では
説明出来ない
サムシンググレートがあるのでは

未知なる現象、未知なる法則が存在する
それが神と言われるものではないか

輪廻転生を現代科学では証明できない
全く非科学的だといわざるを得ない

しかし、
証明出来ないだけであって
未知なる法則で輪廻転生は
存在するのではないだろうか

自分には証明など
永遠に出来ないだろう。

自分が証明出来ないとして
輪廻転生や神を否定する姿は理屈に合わない

人類が証明出来ないとしても
その現象が存在する事はあり得る

昔、電気を証明出来なくても
自然界には電気現象は存在していた筈

理屈ではなく
只、神を認識する事が出来様になりたい

サイババは言う
私は神だ
あなたも神なのだ
しかし私はそれを知っているが
あなたはそれを知らない
気付かないでいるのだ

全ては神を認識することから
始まるのだと最近思う様になった。

しかし
神を識るには未だ遠しか

神とは
人格神ではない様だ

人間の姿をした者が神ではなく
根底に流れている未知なる法則が
神と言われているものではないか

「こころ」こそ神では?
こころは物理現象ではない

物理現象なら
テレパシーも簡単に商用化出来るだろう

我思う故に我あり
意味は違うと思うが
我思うから我は存在する

人類には心があり
常に思っている
その思う事が、
心がエネルギーを発していたら
そのエネルギーは何処に伝わるのか

理屈無用で只信じる事が出来れば
信仰生活に入れるのだろうが
理屈無用で信じる為の理屈を探している
自分に気付いている
















































神の御言葉0513

神は
アンタラヤーミ(こころの内に住むもの)です。

従って、
外界に捜しても
神を見つけることはできません


どのような思いも持つことなく、
ただひたすら神を愛し求めなさい;

 神のいないところ、
価値あるものなど
何も無いことを知りなさい;
 神がすべてだということに気づきなさい。

その時、あなたは神のものとなり、
神もまた、あなたのものとなります

それ以上に
近くて密接な関係はありません。

あなたは神から来たのです;
 あなたは神聖なる光の粒子です;

 あなたは、
その至福の大海の波しぶきです;

 唯一、あなたが
神に再び融合する時にのみ、
あなたは平安を手にするのです。

まるで道に迷った幼子のように、
あなたの母と再会する時にのみ
あなたは真の喜びを獲得することができるのです。

ババ

5月12日神の御言葉

第一段階は
ーカルマージナアサー
正しい方針の元に、
正しい精神的心構えで行う
カルマ(行為)の実践です;

 次に、
ダルマージジナーサー
地域社会を維持するための
道徳上の規律を遵守すること、
そして人として果たすべき義務を
遂行することになります;

 最後にくるのが、
ブラフマージジナーサ−
基本的サダーナ(霊性修行)として、
多くのナマスマラナ
(神の御名を繰り返し唱えること)を
する結果となるのです。

ババ

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無謀にも科学と宗教と芸術を考える身の程知らずのブログ。科学と宗教と芸術が融合するとき輝かしい未来が創造される。 インド・アシュラムの黒板に書かれる神の御言葉に未来創造の指針を発見した。